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長命寺の起源に関しては定かではないが、「長命水石文」には「当寺いにしへは、 宝樹山常泉寺と唱し道場なり」とあり、三代将軍徳川家光公が当地に鷹狩りに来た際 腹痛を起こし、住職の加持した庭中の般若水(井戸水)で薬をのんだら痛みがとまったので、 以後長命寺と呼ぶように改号された。
- 写真左: 長命水 -
宗派は天台宗で、元は東叡山寛永寺の末寺に属していたが
現在は比叡山延暦寺を本山としています。 安政二年の大地震で焼失してしまい、明治になって再建、 関東大震災で再び焼失したが本堂の阿弥陀如来はからくも 難をのがれ現在に至っております。 資料 : 長命寺しおりを参照 |
山本や・長命寺桜もちの由来は、長命寺の門番をしていた 創業者・山本新六が享保二年(1717年)に隅田川の土手の 桜の葉を樽に塩漬けにして、試しに「桜もち」を考案し、 向島の名跡長命寺門前で売り始めました。 - 写真左: 山本や「長命寺桜もち」 - |
八代将軍徳川吉宗が隅田川の堤に桜を植え遊覧地として整備、 桜の名所となり多くの江戸庶民が花見に集い大いに喜ばれました。 山本やの記録によると、1824年の桜葉の漬込みが31樽・ 葉の数77万5千枚、桜葉2枚使用で38万個のさくら餅が 江戸及び周辺の人達が食べられていたようです。 -写真左:山本や・向島- 資料 : 山本や栞 |
【関連項目】
’06年03月01日「さくら餅」関東風と関西風 | ’07年03月01日「さくら餅」の製造 |
’09年03月01日「和菓子の葉」 | ’12年03月03日「桃の節句・五節句」 |
’16年03月01日「桃の節句とひな祭り」 | ’17年03月01日「桜もち誕生300周年」 |
※季節限定商品の為、1月~4月迄のコラムでご覧ください
資料 : 長命寺 ・ 長命寺のしおり ・ ウッキペディア(桜餅) ・
長命寺さくら餅 ・ 「山本や栞」 等を参照しました。
<調 査:本社 営業部門 >