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昔は現代と違い、栄養不足・健康への知識不足や貧困などからくる病気が原因で、 乳幼児の生存率はきわめて低く、子供の生存を祝う節目として始められました。
起源は平安時代(794~1185年頃)と言われ、宮中や公家・武家社会の文化が、 江戸時代に入り大衆に広がりました。
また一説には、五代将軍徳川綱吉が、館林城主の長男・徳川徳松(1679年6月~1683年7月)の病弱を心配し、 無事に成長するを祈って始まったと言われています。
※「徳松」は父・綱吉の幼名でもあり、父綱吉が兄の4代将軍家綱の継嗣となった為、2歳で館林徳川家を継ぎ、5歳で夭折してしまいました。
【七五三のお祝い】 神様から授かった子供が、3歳・5歳・7歳と「よくここまで 健康で成長した」ことの喜びをお祝いするようになったのが七五三の文化なのだそうです。 奇数を縁起の良い数と考える中国からの思想もあり、多くの季節の節目が奇数になりました。 |
七五三は、男子は3歳・5歳、女子は3歳・7歳の数え年の11月15日に、神社・寺に 詣でる年中行事となりました。
最近は満年齢で行なわれ、男子の3歳を行なわないケースが多くなりました。
旧暦の11月は収穫を終え実りを神様に感謝する月であり、その月の満月の日である 15日に氏神への「収穫の感謝」を兼ねて、「子供の成長の感謝と加護を祈る」ようになりました。
又、11月15日は「鬼宿日(キシュクニチ)」と呼び、鬼がいなくなる日に「厄払いと神への祈り」を 行なった説もあります
※鳥居の潜った先には「神様」がいらっしゃるといわれてます。
神社へお参りに行かれた際は、鳥居をくぐる時お辞儀をしましょう。
【千歳飴(チトセアメ)】 七五三では、千歳飴を食べる風習がありますが、これは親が 子供の「長寿の願い」を込めて、細く長くされ、縁起が良い 紅白の色になったそうです。 千歳飴は、1000歳(長寿の願い)という名前が入った飴に託し、 鶴亀や松竹梅などの縁起の良い図案が描かれています。 |
江戸時代の元禄・宝永の頃(1704年~1710年)、浅草の「飴売り・七兵衛」が売り出し たのが始めとされ、お宮参りの帰りに買って親戚・近所に配られた様です。
【関連項目】
’06年06月16日 「和菓子の日」について ’07年02月01日 「節 分」の由来
’07年03月16日 「お 彼 岸」の由来 ’07年04月01日「お花見の歴史と桜」
’09年10月01日 「中秋の名月」について ’10年01月01日 「正 月」について
’10年09月01日 「敬老の日」について ’10年12月01日 「お 歳 暮」の起源
’11年12月11日 「クリスマス」について ’12年03月03日 「桃の節句と五節句」
’12年08月01日 「お盆」の由来 ’14年02月01日 「節分、豆まきの謎」
’14年09月01日 「中秋の名月第2弾」 ’14年02月01日 「節分:豆まきの謎」
’14年09月01日 「中秋の名月第2弾」 ’14年10月01日 「十三夜」と「豆の日」
’15年11月01日 「七五三・他」 第二弾
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