|
清滝の 水 軒下の 俳句において、「ところてん」は夏の季語のひとつです。 他にも、風鈴・団扇・滝・浴衣・金魚・すいか・水羊羹など多数の季語があります。 松尾芭蕉が、京都奥嵯峨のさらに奥にある水の里・清滝(きよたき)で夏に味わった「ところてん」の涼を詠んだものと思われます。 良質の天草と水がすべてともいえる「心太」と、地名の響きからして清涼感のある「清滝」の取合わせは絶妙です。
※豆知識:「寒天」の名付け親は、 隠元禅師は「インゲン豆」の名付け親でもあります。 江戸時の頃、京都の旅館「美濃屋」の主人美濃屋太郎左衛門が、ところてんを外に出しておいたところ、冬の寒さで凍り、自然乾燥の状態になりました。 これを見つけた太郎左衛門のひらめきによって寒天の製法が編み出され、和菓子の原料として年々改良され発展してきました。 関西地方で発明された寒天は、信州の行商人小林粂左衛門の手で、寒さが厳しく空気の乾いている諏訪地方の農家の副業として伝えられました。 その後、角寒天というユニークな形態をつくり、気候風土を活かした地場産業として注目されてきました。 一説には、こころぶとと呼ばれ、心太の漢字があてられた。 それが、こころていと呼ばれる様になり、さらに転じてところてんとなったとされる。 古くは正倉院の書物中に心天と記されている事から、奈良時代には既にこころてん またはところてんと呼ばれていた様である。 ところ天は、原料の天草・オゴノリなどを煮溶かし突き出した状態を主に表現する 事が多く、寒天を製造する段階となります。 天然寒天の「糸寒天」「角寒天」は、ところ天を凍結乾燥した製品です。 心太・ところ天は主に、商品としての製品の名前として言われています。 【関連項目】 ’06年05月16日「寒天の歴史」 ’06年06月01日「寒天とゼラチン・ペクチン」 ’06年07月01日「寒天の効能①」 ’06年07月16日「寒天の効能②」 ’08年07月01日「寒天パート⑤」 ’09年06月01日「みつ豆とあんみつ」 ’13年07月01日「あんみつ製造工程」 ’13年08月01日「あんみつ組立」 商 品 案 内 : 「あんみつ」 「寒 天」 資料: 伊那食品工業㈱ ・ ウッキペディア (心太) 等を参照しました。 <調 査:本社 営業部門 >
|