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そもそも節分は本来「季節が分かれる時」を指し、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日を言い年4回ありました。
特に「立春」は春と冬を分ける1年の始まりとして考えられ、次第に節分と言えば2月3日を指す様になりました。
「豆まき」に代表されるように、室町時代頃から「邪気や悪い鬼を全て追い出す」という行事が定着されたようです。
【豆まきの調査結果】
さて、節分の行事として「豆まき」をしいるかの調査結果を発見しました。
アサヒビールのホームページに「お客様生活文化研究所」の調査結果(
第170回「節分に豆まきをしますか?」)を参照させて頂きました。
1)豆まきをする家庭・しない家庭
必ず豆まきする派 : 41% するつもり派 : 18%
最近してない派 : 30% 全然しない派 : 10%
2)住んでる地域で{豆まきの種類」について
「炒った大豆」派 : 80.9% 「殻つき落花生」派 : 23.5%
「チョコ・キャンディー・他」 6%
※合計が100%になってないのは、重複回答と考えられます。
3)「殻つき落花生」をまく地域別の比率
北海道 : 92.4% 東北地方 : 76.7% 信越地方 : 89.9%
※関東・東海・関西・中国・四国・九州では主に「炒った大豆」をまく傾向です。
***アサヒグループ ハピ研「お客様生活文化研究所」調査結果***
【豆まきの傾向】 最近「落花生」をまく傾向が増加している様です。 もともと雪国等で、雪の上に「豆まき」すると大豆より落花生の方が集め易いから。 また、家の中での「豆まき」は、衛生的で食べられるなどの意見が広がっている様です。 |
【渡辺さんは「豆まき」しない】
日本中で、豆まきしない人達が知るそうです。
なんと「ワタナベ」姓の人達は、「豆まきする必要がない」と言うのです。
鬼は渡辺さんが恐ろしい 「最強伝説」
平安時代のころ、大江山(京都府)を拠点とする鬼・酒呑童子(シュテンドウジ)が多くの鬼を従えて都を荒らしまわっていた様です。
そこで、源頼光(ミナモトノヨリミツ:平安中期の武将)は渡辺綱(ワタナベノツナ)らによる討伐隊を結成、鬼退治に行き見事に酒呑童子を仕留めました。
後日、酒呑童子配下の鬼・茨木童子が仇をとるために討伐隊を襲撃。
しかし返り討ちに遭い、渡辺綱に腕を切り落とされてしまった。
鬼が「わたなべ」一門を恐れ、ひいてはワタナベ姓の子孫にも近づかなくなり「豆まきの必要がない」という風習が生まれたそうです。
これが、「節句の豆まき」の最強伝説なのです。
【関連項目】
’06年06月16日「和菓子の日」 ’07年02月01日「節句の始まり」
’07年03月16日「お彼岸」の由来」 ’07年04月01 「お花見の歴史と桜」
’09年10月01日「中秋の名月」 ’09年11月01日「七五三」について
’10年01月01日「正 月」 ’10年09月01日「敬老の日」
’10年12月01日「お歳暮」の起源 ’11年12月11日「クリスマス」
’12年03月03日「桃の節句と五節句」 ’12年08月01日「お 盆」の由来
’14年09月01日「中秋の名月第2弾」 ’14年10月01日 「十三夜」と「豆の日」
’15年11月01日「七五三・他」 第二弾
資料 :お客様生活.文化研究所 ・ アサヒグループ:ハピ研 ・
日本テレビ・ ZIP! ・ Rocket News ・ 酒呑童子他
<調 査:本社 営業部門 >