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昔は現代と違い、栄養不足・健康への知識不足や貧困などからくる病気が原因で、 乳幼児の生存率はきわめて低く、子供の生存を祝う節目として始められました。
徳川綱吉の長男徳川徳松(館林城主)の健康を祈って始まった説が有力の様です。
※2009年11月01日コラム「七五三について」をご参照ください。
現在では全国で盛んに行われている「七五三」ですが、江戸を中心とした関東圏における地方風俗で、関西ではあまり行われていませんでした。
「七五三」の語が使われたのは明治時代からで、明治11年の『朝野新聞』に「大晦日に七五三の祝い」の記事がのっている様です。
そして今のような賑わいになったのは意外にも大正時代からだそうです。
旧暦の15日は、かつて「二十八宿の鬼宿日」(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされた。
また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に「氏神への収穫の感謝」を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった。
【七五三のお祝い】
七五三お祝いは、満年齢と数え年どちら?
最近では、「満年齢」でお祝いするケースが一般的になっているようです。
数え年:生まれた年を「1歳」として、年明け正月を迎えるたびに年齢を1つ重ねる
満年齢:生まれて1年経過で「1歳」となる
例)平成27年(2015年)の七五三のお祝い
- 写真 : 明治神宮・大鳥居 - |
神社へお参りに行かれた際は、鳥居をくぐる時お辞儀をしましょう。
髪置きの儀(数え三歳:満2歳)
数え三歳迄は「神からの預り物」と考えらていたので、髪を剃る習慣がありました。
晴れて髪の毛を伸ばし始めるという習慣だった様です。
髪置きの儀が、男女3歳のお祝いになった様です。
※七五三は、「三歳は女の子だけのお祝い」と勘違いしているようですが、
実は男女とも3歳はお祝いをしなければならないのです。
袴着(ハカマギ)の儀(満五歳の男子)
男子は満五歳で子供の着物から大人と同じ着物である「袴」をはく様になった。
満五歳は男子が一人前の男として扱われるようになる、初めの一歩で有るからです。
袴着が現在で言う五歳の男子のお祝いの元になっています。
帯解(オビトキ)の儀(満七歳の女子)
女子が満七歳で子供の「着物紐」から幅の広い「帯」へと着物を着るようになります。
これは女子が、大人の女性として扱われるようになった年齢だそうです。
帯解が七歳女子のお祝いとなっています。
【子供が生まれてからの行事】 お七夜:産まれた日を含めて7日目に行う「名づけ」の行事。 医療事情の良くない時代、生まれてすぐ亡くなることも多く「7日間も生きれば大丈夫」と言う事で、正式な命名した。 お宮参り:生後30日頃のお参り 氏神様の子供となり、守って頂く為に、お祓いを受けます。 |
大人と同じものを食べるという成長の節目のお祝い
初正月:祖父母や近親者が、男子には破魔弓・女子には羽子板を贈ります。
破魔弓も羽子板も魔除けの意味があり、子孫繁栄を祈るものです。
子どもは家の跡継ぎなので、父方の家の繁栄を祝う意味もあるようです。
初節句(女子)「桃の節句」:近親者が、雛人形を贈ります。
雛人形は女子の身代わりに、病気や災いを引き受けてくれると言われています。
初節句(男子)「端午の節句」:強い香気で厄を祓う菖蒲で無病息災を願いました。
初誕生満1歳:餅をつき、近親者などを招いて宴を開いて祝います。
紅白の一升餅(誕生餅)を背負わせて歩かせる。
【関連項目】
’06年06月16日 「和菓子の日」について ’07年02月01日 「節 分」の由来
’07年03月16日 「お 彼 岸」の由来 ’07年04月01日「お花見の歴史と桜」
’09年10月01日 「中秋の名月」について ’09年11月01日 「七五三」について
’10年01月01日 「正 月」について ’10年09月01日 「敬老の日」について
’10年12月01日 「お 歳 暮」の起源 ’11年12月11日 「クリスマス」について
’12年03月03日 「桃の節句と五節句」 ’12年08月01日 「お盆」の由来
’14年02月01日 「節分、豆まきの謎」 ’14年09月01日 「中秋の名月第2弾」
’14年10月01日 『十三夜』と『豆の日』
資料 : ウッキペディア(七五三) ・ 明治神宮 ・ 丸昌
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