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人類が「卵」を食べたのは、サバンナで生活を始めた原始時代(約500万年前)と 考えられ、地上に卵を産むダチョウなどの卵を採取し食べたと思われます。
鶏が家禽(かきん)として飼育されたのは、4,000年近く前だと言われ、世界各国に 飼育の輪が広まっていきました。
エジプトの古文書によれば、紀元前1,500年頃には、すでに鶏がほぼ毎日のように 産卵していたという記録が残っているそうです。
この記録は、野生の鶏が産卵期に通常5個~10個程度の卵しか産まないことから 考えると、当時すでに鶏が採卵用に品種改良されていたことを物語っています。
ローマでも卵を多く産ませる為に、鶏の品種改良が2,500年前には始まっていたと いう記録も残されています。
【日本の原始時代での卵について】
原始時代の日本では、卵を食べていたという文献などは
見当たらない様ですが、
狩猟して鳥類等の肉を食べていた事から、巣で見つけた
卵も当然食料として食べられていたと考えられます。 日本に鶏は約2,500年前、中国から朝鮮半島を経由して伝えられてきました。 ― 写真左 : 卵が原料の和菓子類 ― |
日本では、弥生時代の貝塚から鶏の骨が出土しています。
そして鶏は毎朝ほぼ定時には鳴く事から、「時告烏(ときつげどり)」と称して神聖視もされ、 鶏肉も卵も通常は賞味しない習慣がありました。
一部では、鶏肉は食用に、卵は食膳や薬として利用されていました。
【奈良時代】
奈良期に入ると、仏教の訓えから「仏教の肉食(にくじき)禁止」により、 「牛馬犬猿鶏の肉を喰う無かれ、犯すものあれば罰する」という布告が天武天皇(生年不明~686年)により出され、 「殺生禁断の令」が聖武天皇(701~756年)より出され、畜肉を食べる風習はなくなりました。
どういう訳か卵も鶏も含まれていました。
しかし、庶民は利口者、鶏は大事な「時告烏」と称して飼育し、雉(きじ)肉と偽って食べていたといいます。
先人達は、卵が栄養の塊である事も知っており、病人や病後の体カ回復の妙薬として密かに賞味してました。
※先人の「こじつけ」
仏教伝来以降明治まで肉食がタブーとされ、建前四足動物は口にしませんでした。
鳥類(2本足)及び魚はタブーではなかった為、猪を「山鯨」、兎は鳥類に見立てて 1羽2羽と呼んで食べられ、現在でも兎を「1羽・2羽」と呼びます。
【室町時代】
室町時代になると、誰言うことなく「卵は生きものでない」との風評が世間に広がり、 鶏の飼育も急激に増え、朝廷からの「殺生戒」のお咎め(おとがめ)もなく、またたく 間に日本各地に卵の食習慣が広まり、卵の生産量も増加していった様です。
【江戸時代】
一般的に卵を食べる様になったのは江戸時代に入ってからの事で、天秤棒の桶に 卵を載せて売り歩く「たまご売り」も出てきましたが、まだまだ庶民には手の届かな い特別な栄養食で「高値の華」といえる存在だったようです。
【明治以降】
卵に限らず明治時代に入ってからは、豚・牛などの肉が食べられる様になり、 どこの家庭の冷蔵庫にも卵が常備される様になったのは昭和30年代以降のこと、 食生活の意識が大きく転換し、たんぱく質・カルシウムが重要しされ肉・卵・牛乳等 積極的に食べる事が推奨され始めました。
次回コラム 14年04月01日 : 『卵のいろいろ』
【関連項目】
’14年04月01日 「卵のいろいろ-1」 ’14年05月01日 「卵のいろいろ-2」
’14年06月01日 「卵の嘘とホント」
資 料 :
卵と和菓子の渋ーい関係 : イセデリカ食品 ・ 正直通信 卵のお話
卵のちょっといい話 ・ 卵の歴史 ・ たまごの食の歴史 ・
<調 査:本社 営業部門 >