「暑さ、寒さも彼岸まで・・・」とよく言います。 彼岸を過ぎたらめっきり秋の気配となりました。 さて、前回に続き「南蛮菓子」の一つ「金平糖」と 「飴」の歴史を調べてみました。 京都には、金平糖の専門店・緑寿庵清水もあります。 なんと、出来るまで2週間も掛けて作られている様です。 |
ポルトガル語のコンフェイト(confeito) が語源です。
織田信長も宣教師から贈られ、その形と味にたいそう驚いたと様です。
当時はとても珍しく、公家や高級武士しか口にすることが出来ない貴重な品とされ、製造法はいっさい秘密でした。
その後、日本で金平糖が作られる様になったのは、長崎を始め・京都・江戸と広まり、 それ以降皆様に親しまれるようになりました。
【金平糖の出来るまで】 - 写真 : 金平糖 -
①氷砂糖・グラニュー糖に加水し煮詰め糖蜜を作る。 ②傾斜した回転鍋(直径2m位の平鍋)を熱しながら、ゆっくり回転させる。 ③金平糖の核となる粒(現在はザラメ糖等)を鍋に入れ、回転している「核」に糖蜜を少しずつ掛ける。 ④この作業の繰返しで、凹凸の突起が出来てくる。 ⑤金平糖が出来る迄、1~2週間時間を要します。 |
【飴について】
飴は米等の原料でデンプン質を糖化して作った甘い菓子、 及び砂糖やその他糖類を加熱して熔融した後冷却して固形状にした菓子等を指します。
固形の飴を固飴(カタアメ)、粘液状の飴を水飴(ミズアメ)と呼び大別します。
米を発芽させる事で米に含まれる糖化酵素を活性化させ、デンプン質を糖化させる事で飴を作っていたと推察されている。
麦芽にはジアスターゼという酵素が多く含まれ、これが炭水化物に作用すると麦芽糖になります。
デンプンに酵素である麦芽を加えると、もともと何の味も無いデンプンから甘い糖の溶液ができます。
これをしぼって煮詰めると水飴が出来るのです。
古代の人々は何らかのきっかけで、この製法を発見し「水あめ」を作り出した様です。
資料: ウッキペディア 「金平糖」・ ウッキペディア 「飴」・ を等参照しました。
<調 査:本社 営業部門 >