新年明けまして おめでとうございます。 本年も宜しくお願い申し上げます。 お江戸・日本橋の「七福神めぐり」を散策しました。 冷たい風吹く人形町で、時折小雪もちらついていました。 都心の中の神社で、ビルの谷間に建てられてますが、 歴史を感じる趣がありました。 |
夷(恵比寿)・大黒・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の七人の神様の中には 日本の神様もおられますが、中国・古代インドの神様が多くおられるのが特徴で、 我が国の神社・仏閣に祀られている本来の神様がそれぞれに七福神の神様と一体と なられる形にて、今日まで広く親しまれてまいりました。
【七福神めぐりマップ】 都内の中心部ですので、地下鉄6路線の駅が有り、 日比谷線・都営浅草線の人形町駅が一番便利です。 他に、半蔵門線水天宮前駅、都営新宿線浜町駅などもあり、 東西線茅場町駅、銀座線三越前駅からも近く、 JR神田駅からも散策に調度よい距離でしょう。 |
【福禄寿】 小網神社:中央区日本橋小網町16-23 稲荷大神を主祭とし、540年前(文政元年1466年)に 鎮座した歴史の古いお社で、 「福禄寿」と「弁財天」が祀られています。 総尾州檜造りの重厚な彫刻が施された社殿と神楽殿は、 中央区指定文化財となってます。 福禄寿:福徳長寿の神・弁財天:商売繁盛/学芸成就の神 |
【布袋尊】 茶の木神社:中央区日本橋人形町1-12-10
かつて社の周りで茂っていた「茶の木」が名の由来で、
下総(千葉県)佐倉藩主堀田家の屋敷神として布袋神が
祀られており、笑顔が優しい布袋様は福徳円満と防災の
神様として知られています。 この屋敷内はもとより、町方にも火災が無かったことから、 火伏せの神としても信仰を集めています。 |
【大黒天】 松島神社:中央区日本橋人形町2-15-2
松島神社の創建年代は不詳ですが、口伝によると鎌倉
時代(1321年以前)柴田家の祖先が下総からこの小島に
移り住み、邸内に諸神を勧請したと推測されています。 天正13年(1585)に邸宅を公開した際、島内が松樹鬱蒼と していたことから松島稲荷大明神と称され、江戸時代に 当地付近が松島町と名付けられ、明治7年松島稲荷神社 |
現在は豊穣の信仰が残り、大黒様として親しまれています。
- 写真: 松島神社 (画像拡大します) -
【弁財天】 水天宮:中央区日本橋蛎殻町2-4-1
ご存知、安産・子授のお宮として有名な水天宮様。 その成り立ちは、九州久留米藩の有馬公が文政元年 (1818年)に久留米の水天宮総本宮より分霊して屋敷内に お祀りしたのが始まりです。 お像は運慶作と伝えられる「弁財天」が祀られています。 水天宮の弁財天は「中央辨財天」と呼ばれ、手に琵琶を 持たず剣や矢を持つ勇ましい姿で、人の弱い心を正し導く慈悲の姿といわれています。 |
【寿老人】 笠間稲荷神社:中央区日本橋浜町2-11-6
江戸末期の安政6年(1859年)に、笠間藩主・牧野貞直が
日本三大稲荷のひとつ常陸笠間神社の御分霊を江戸下
屋敷に奉斎され、それ以降五穀を始め水産・殖産の守護神として信仰を集めました。 寿老人は長寿の神にして、お導き・幸運の神で、人々の運命を福徳長寿の守護神とされています。 |
【毘沙門天】 末廣神社:中央区日本橋人形町2-25-20
この辺りは元和3年(1617年)に幕府の許可の下、庄司甚右衛門らが葭(ヨシ)の茂る沼沢地を開拓して造った遊女町葭原(吉原)で、末廣神社はその氏神様として信仰を集めていました。 多聞天の異名を持つ毘沙門天は、世界の守護神であり、福徳を授ける神ともされています。 |
【恵比寿】 椙森神社:中央区日本橋堀留町1-10-2
創建は約1千年前、田原藤太秀郷の平将門討伐祈願や、太田道灌の雨乞い祈願などの記録も残る古社です。 祀られている恵比寿様は、右手に釣竿・左手に鯛を持ち、はじめは豊漁の神さまとして、後に「えびす顔」と言う通り商売繁盛の神さまへと変化しました。 |
- 写真: 笠間稲荷神社 (画像拡大します) -
【関連項目】
’09年02月01日「六本木・七福神」 ’09年04月01日「八福神を発見・京都」
’15年01月01日「鎌倉・八福神」 ’12年01月01日「深川・七福神」
’13年01月01日「京都・七福神」 ’14年01月01日「谷中・七福神」
’16年01月01日「下谷・七福神」 ’17年01月01日「柴又・七福神」
’18年01月01日「新宿・七福神」 ’19年01月01日「池上・七福神」
資料 : 日本橋七福神 ・ 人形町商店街協同組合 ・ 猫の足あと
<調 査:本社 営業部門 >